僕が僕である理由

22歳。留年大学生。僕の悩んだことが、誰かの役に立ちますように。

【日本初上陸】街で自由にピアノを弾こう!アートプロジェクト「Play Me, I'm Yours」が東京に!

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なんとも面白そうなイベントが2018年東京都国立市で開かれることになりました。

その名も「Play Me, I'm Yours

街のあちこちに「Play Me, I'm Yours」と書かれたピアノが置かれ、

誰でも自由に弾くことが出来るという、

画期的なアートプロジェクトです。

 

 

Play Me, I'm Yoursって?

Play Me, I'm Yoursは、イギリスのアーティスト、ルーク・ジェラムによるアートプロジェクトで、2008年から世界各地を巡回しています。

今までに 1700 台を超えるピアノが、55 以上の都市に置かれ、

「Play Me, I’m Yours’」(さあ、私を弾いて) と書かれたピアノを、街行く人々が自由に演奏して楽しんできました。

gigazine.net

ピアノは鍵盤を押せば綺麗な音が出る、親しみやすい楽器です。

子供の頃に学校などで触ったことがある人も多いでしょう。

綺麗な音や、懐かしさで、

誰もが笑顔になれることでしょう。

 

そして、過去の開催では、ピアノの周りに、ギターを持った人やバイオリンを持った人などが集まって、その場でセッションが始まったこともあるようです。

ピアノを通じて人とのつながりをも感じられるプロジェクトだとも言えます。

 

 

実は六本木でお試し開催されていた

日本では初開催となっていますが、実は、2016年4月に2日間だけお試しで開催されていました。

場所は、東京・六本木のアークヒルズ

日本語で「さあ、私を弾いて!」と書かれたピアノが広場に出現し、

多くの人が楽しみました。

www.britishcouncil.jp

楽しそう

 

 

ピアノが必要!

Play Me, I'm Yours Kunitachi 2018は

2018年3月17日~31日の開催。

それに先立ち、ピアノが10台必要とのことで、

6月30日まで、ピアノを寄贈してくれる人を募集しているようです。

Play Me, I’m Yours Kunitachi 2018 – KUNITACHI ART BIENNALE

不要になったピアノが、多くの人に役立つかもしれません。

【すべての写真・カメラ好きに】ソール・ライター展に行ってきた!

こんにちは。みゃーです。

先日、渋谷にあるbunkamuraザ・ミュージアムにて6月25日まで行われている

ソール・ライター展に行って来ました!

www.bunkamura.co.jp

ソール・ライターは1923年生まれ、主にニューヨークで活躍した写真家です。

私は批評家ではないので、詳しいことはプロの方におまかせするとして、

私もカメラを趣味にする1人として、自分の撮影にも活かせそうだなと感じた点を

まとめてみたいと思います。

 

 

そもそも、ソール・ライターって?

ソール・ライターは1923年生まれ、ファッション誌のカメラマンとして大活躍しましたが、1981年に突然自分のスタジオを閉鎖し、表舞台を去りました

しかし写真に対する情熱は消えぬまま。

2006年、83歳にして初の写真集「Early Color」を出版したことで、

一躍世界にその名を知られることになります。

大胆な構図、色彩の美しさ、日常を切り取る発想力といった、写真の魅力だけでなく、

彼が残した数々の名言や、哲学、生き方といった、人としての魅力

多くの人に愛される所以と言えるでしょう。

 

 

ほとんどが自宅近くのスナップ写真

私が写真を撮るのは自宅の周囲だ。神秘的なことは馴染み深い場所で起きると思っている。なにも、世界の裏側まで行く必要はないんだ。

 この言葉の通り、彼が撮ったのは自宅近くの何気ない一コマ

「写真を撮るのはもっぱら遠出したとき」なんていう私はハッとさせられました。

フォトジェニックな場所でしか、素敵な写真は撮れないと思い込んでいた私は、

日常に点在する「美しさ」見逃して生活していたのかもしれません。

 

 

鮮やかな色彩

写真家からの贈り物は、日常で見逃されている美を時折提示することだ。

 

www.huffingtonpost.jp

 こちらで写真が何枚か見られますが、赤い傘の写真なんかは、雪景色の中でパキっとした赤い傘が映えていて、美しい色彩です。

日常の中にある偶然の美しさ

雪が舞う中、傘を差した人々が行き交う通りなんて、雪の降る地域であれば当たり前の光景でしょう。

その中で、赤い傘を差した人を見つけ、切り取る力

さすがだなあと思います。

赤い傘以外の部分が少し(赤色の補色の)緑色がかっていることも

赤色を際立たせるテクニックでしょうかね。

 

 

大胆な構図・捨象する力

saulleiterfoundation.org

ソール・ライター財団のホームページにも作品が掲載されています。

特徴的なのは、物陰から撮ったような写真や、一部分が欠けているような写真

自分が写真を撮るときはついつい避けがちなシチュエーションです。

私が撮るなら、なるべく全体が写るように移動するでしょうし、

そもそもそんな場面ではカメラを構えようとしないでしょう。

しかし、ソール・ライターの物陰から撮る方法は、

見る人の視線を、見せたい部分に注目させる効果

見えなくなっている部分をあれこれ想像させる効果があり

とてもうまく作用しています。

人生で大切なことは、何を手に入れるかじゃない。何を捨てるかということだ 。

 この言葉にあるように、写真においても、余計なものを排除することで、主題を浮き上がらせることを強く意識していたのかもしれません。

捨象する力、を私も高めていきたいと、感化されました。

 

 

まとめ

ソール・ライター展を見て、「写真撮りたいっ!!!」という衝動に駆られました。

たぶん、いや、必ず

ソール・ライターの作品に触れれば、そんな気持ちが湧き起こってくるでしょう。

渋谷では6月25日まで。

今後、伊丹市などでも開催されるそうなので、

ぜひ多くの方に見ていただきたいと思います。おすすめです。

就活がつらい。に共感しかない

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僕は就活がつらいです。

でも、人によって「つらい」の意味が違うと思うんです。

例えば、

 

慣れないスーツを着て、慣れないビジネスマナーに慣れない敬語。

  気を使うことが多すぎて、ストレスが溜まってつらい

「自分は何の取り柄も無い人間なのに、有能であるかのように演技するのが、

  人をだましているようでつらい

「人物重視の採用を行うと謳う企業の面接に落ちると、

  自分の人間性が否定されたようでつらい

 

もっといろんな「つらい」があると思います。

それこそ、十人十色の「つらい」があるはずです。

だからこそ、「みんなつらいんだから我慢しろ」と片付けるのは違うと思います。

他人がつらいことと、自分がつらいことには一切関係がありません

「つらい」の中身が違うんです。

そこを他人と比較しちゃいけない。

 

そんな風に、いろんな「つらい」がある中で、

この「つらい」が、僕の「つらい」に一番近いなと感じました。

 

anond.hatelabo.jp

 

 

「やりたいこと」ってなんだろう

この就活生は「やりたいこと」が見つけられないことが「つらい」んです。

僕はこのつらさを去年1回目の就活で、いやというほど味わいました。

就活を始めるにあたって、「これがしたい!」と強く言えるようなものはなく

だったら、給料が良いところか、楽しそうに見えるところに入ろうと割り切って

就活に臨みました。

 

何社かエントリーして、面接に進みましたが、

どこの企業でも大体聞かれたのが、

入社したらどのような仕事がしたいですか

というもの。

僕は、説明会やOB訪問で会った社員の仕事や職種を挙げてしのいでいました。

 

最終面接に進んだのは、最終的に2社。

そのうちの1社は、僕の趣味に関連した企業で、

給料は高くないけど、楽しそうという印象でした。

選考が進むにつれて「入社できたらいいな」という気持ちが強くなりました。

 

しかし、僕が内定をもらえなかったことは、過去記事からもお分かりでしょう。

 

tomohiromiyata.hatenablog.com

 

最終面接ではこんなやり取りが交わされました。

 

面接官「じゃあ、君がうちの会社でやりたいことって何かな?」

僕「営業や広報です。大学OBの○○さんにお話を伺い...」

面接官「うーん、じゃあ10年後はどんな仕事がしたい?」

僕「(10年後なんて想像できないわ...)部下をマネジメントし...」

面接官「いや、そういうことじゃなくてさあ...君が成し遂げたいことって何?」

僕 (成し遂げたいことなんてないよ...)

 

最終面接で落ちた理由ははっきりわかります。

この、「成し遂げたいこと」を語れなかったことです。

 

もう1社も落ち、2次募集にまわることになるのですが、

また最初から企業探しをする上で、僕の心に引っ掛かり続けたのは

自分の「やりたいこと」「成し遂げたいこと」は何か

ということです。

 

結局、僕は考えても考えても答えが出ず

2次募集で出した企業もうまくいかず、

留年を決断しました。

 

僕も趣味が多いし、友人も多い方だと思うし、

記憶ゲームの受験も乗り越えて、そこそこの大学で

それなりに毎日楽しく生きている。

でも、自分のやりたいことってなんだろう。

答えなんて本当は一生かけて探していくものなのかもしれないけれど、

とりあえず今答えを出さなきゃいけないつらさ。

僕は共感します。

 

 

じゃあ、どうすんの

結局僕は留年して、2回目の就活に臨んでいるわけですが、

さすがに同じ過ちを犯すわけにいかないので、考えました。

もう、割り切ろう。「やりたいこと」は仮置きしよう。

って。

とりあえず、今までやってきたことや志向性から、関連付けて考えて、

将来的に「やりたいこと」になるかもしれないことを、仮置きしました。

本当は心から「やりたい!」ってことではないけども、

過去の経験に紐づけて、あたかも根拠があるかのように言う。

これって、テクニック的な側面が強くて、僕はとてもなんだけども、

まあ、働いてみないとわかんないことってたくさんあるし、取り組んでみたら心から「やりたい」って思うようになるかもしれない

って感じで割り切るようにしました。

 

時代が時代だし、僕みたいな「さとり世代」は企業への忠誠心が低いです。

僕も、「やりたいこと」が本当に見つかったら、

その時は転職起業か何かすればいいなと思っています。

だから今は仮置きして、とりあえず社会人経験を積むことにしました。

 

この割り切りが吉と出るか凶と出るかは、

そろそろわかるのかな。

それとも何年かしてからわかるのかな。

 

 

僕が留年した理由その1(高校入学まで)

今日から、僕が留年するに至った経緯を書いていきたいと思います。

ちなみに、結論から言えば、留年することになったのは、

就職活動がうまくいかなかったからです。

そのことは前回の記事でも書きました。

 

▼前回記事です

tomohiromiyata.hatenablog.com

 

今日からは、なぜ就職活動がうまくいかなかったのか、

僕の経歴や性格を少しずつ明らかにしながら、考えていきたいと思います。

何回続くかは分かりませんが、お付き合いください。

 

 

小中学校時代

僕は現在、東京都に住んでいますが、出身は地方のごく普通の街です。

小学校も中学校も、家から一番近い公立校に通っていました。

それが当たり前だと思っていたので、上京した際、

東京にはこんなにたくさん私立の学校があるのか!

と驚きました。

 

野球少年だった

小学2年生の時に、両親の勧めで、少年野球チームに加入しました。

小学2年生から中学3年生まで、

平日は学校+野球、土日は野球という生活でした。

練習はきついし、辛いこともあったけど、

たくさんの友人ができたし、

たくさんの父兄に応援してもらったし、

何より野球が好きで、毎日楽しかったことを覚えています。

毎週、試合が組み込まれ、キャプテンなんかもやらせてもらえたので

何も考えなくても充実した日々が送れていました。

 

そう、何も考えてなかった

僕は、何も考えなくても

楽しいことは降ってくるし、こなすべき課題は与えられる

ということに完全に慣れていました。

これが後々効いてくるわけです。

 

ちなみに初めての受験、高校受験も、

特に深く考えることもなく

家の近くだからということと、

県内トップクラスの進学校だからという理由で

志望校を決めました。

僕の地元だと、なんとなく、「この偏差値なら○○高校」という空気がありました。

要するに、特に選択肢が無いんですね。

偏差値で自動的に受験する高校が決まると言っても過言ではありません。

 

 

高校時代

ほどほどの努力と運によって、何とか志望校に合格でき、高校生になりました。

しかし、僕は合格できたことに満足してしまい、

入学直後のテストでは、数百人中、下から20位という

散々な結果となりました。

それまではあまり努力しなくても平均以上の点数が取れていたので、

この結果には少しショックだったことを覚えています。

でも、僕には勉強面の目標が無く何も考えずにそのまま放置していました。

 

脱・野球少年

一方、野球のほうはというと...

実は、野球部には入りませんでした

中学2、3年生の頃には、身長の伸びもストップし、

パワーの面でチームメイトに追い抜かれるようになりました。

また、顧問が野球の指導経験のない先生だったこともあり、

技術的にも他校の生徒に追い抜かれていきました。

高校に入ったら野球は辞めようと決めました。

 

とはいえ、部活を推奨する高校だったこと、

代わりに何かしたいと思っていたこともあって、

良いところはないかと探していたところ、

友人からハンドボールに誘われました。

私の地元では、ハンドボールは高校から始める人が多く、

未経験でも差がつかないこと、

野球の投げる・捕るという技術が活かせること

を語られ、ハンドボールルールも知らないのに

気づいたら入部していました。

 

 

続きます。

僕がブログを書く理由

自己紹介

 はじめまして。みゃーです。東京都の多摩地方在住の大学5年生です。

 

そう、留年したんです。

僕は文系の4年制大学に通っています。つまり、留年したんです。

僕の大学では、約4人に1人が留年すると言われています。

これが多いのか少ないのかはわかりませんが、

僕の友人にも、単位が足りないとか、留学に行ったとかで

留年する人はいました。

 

僕が留年した理由

じゃあ、僕が留年したのは、単位が足りなかったから?

それとも、留学に行ったから?

違うんです。就職活動がうまくいかなかったからです。

 

 

就職活動の失敗

僕が就職活動に失敗した理由は、今振り返るといくつも挙がりますが、

つまるところ、

自分のことを理解できていなかったこと、それゆえに、

自分のことを説明できていなかったこと

にあると思います。

 

自分は何者なのか、何がしたいのか、どう生きたいのか

 

それがわからないままでは、自分を売り込むことが出来ませんでした。

どの企業を見ても、自分にとっての良し悪しを判断できませんでした。

 

 

僕がブログを書く理由

だから、僕は、仕切り直しの就職活動に臨む前に、

自己分析をしました。

 

今まで何をしてきたのか、なぜそれに取り組んだのか、なぜそう思うのか

 

この作業によって、ぼんやりと自分のことが見えてきました。

でも、昔のことはあまり覚えていないし、見えてきたものもぼんやりしている。

だから僕は、自分の思っていることをブログに記録して、

自分自身の姿をつかみたい!

と思い、ブログを始めることにしました。

 

 そして、ただ自分のためだけでなく、

僕の思いや悩みが、読んでくださった方の役に立てば良いなと思っています。

 

 

僕が僕である理由

このブログタイトルには、

吐き出した思いや悩みを少しずつ積み重ねていくことで、

自分で自分のことを理解したい!

という思いを込めました。

 

きっかけは自分のためかもしれませんが、

誰かのお役に立てるように、

ブログを通して自分を成長させたいと思っています。

 

これから、よろしくお願いします。