僕が留年した理由その1(高校入学まで)
今日から、僕が留年するに至った経緯を書いていきたいと思います。
ちなみに、結論から言えば、留年することになったのは、
就職活動がうまくいかなかったからです。
そのことは前回の記事でも書きました。
▼前回記事です
今日からは、なぜ就職活動がうまくいかなかったのか、
僕の経歴や性格を少しずつ明らかにしながら、考えていきたいと思います。
何回続くかは分かりませんが、お付き合いください。
小中学校時代
僕は現在、東京都に住んでいますが、出身は地方のごく普通の街です。
小学校も中学校も、家から一番近い公立校に通っていました。
それが当たり前だと思っていたので、上京した際、
東京にはこんなにたくさん私立の学校があるのか!
と驚きました。
野球少年だった
小学2年生の時に、両親の勧めで、少年野球チームに加入しました。
小学2年生から中学3年生まで、
平日は学校+野球、土日は野球という生活でした。
練習はきついし、辛いこともあったけど、
たくさんの友人ができたし、
たくさんの父兄に応援してもらったし、
何より野球が好きで、毎日楽しかったことを覚えています。
毎週、試合が組み込まれ、キャプテンなんかもやらせてもらえたので
何も考えなくても充実した日々が送れていました。
そう、何も考えてなかった
僕は、何も考えなくても、
楽しいことは降ってくるし、こなすべき課題は与えられる
ということに完全に慣れていました。
これが後々効いてくるわけです。
ちなみに初めての受験、高校受験も、
特に深く考えることもなく
家の近くだからということと、
県内トップクラスの進学校だからという理由で
志望校を決めました。
僕の地元だと、なんとなく、「この偏差値なら○○高校」という空気がありました。
要するに、特に選択肢が無いんですね。
偏差値で自動的に受験する高校が決まると言っても過言ではありません。
高校時代
ほどほどの努力と運によって、何とか志望校に合格でき、高校生になりました。
しかし、僕は合格できたことに満足してしまい、
入学直後のテストでは、数百人中、下から20位という
散々な結果となりました。
それまではあまり努力しなくても平均以上の点数が取れていたので、
この結果には少しショックだったことを覚えています。
でも、僕には勉強面の目標が無く、何も考えずにそのまま放置していました。
脱・野球少年
一方、野球のほうはというと...
実は、野球部には入りませんでした。
中学2、3年生の頃には、身長の伸びもストップし、
パワーの面でチームメイトに追い抜かれるようになりました。
また、顧問が野球の指導経験のない先生だったこともあり、
技術的にも他校の生徒に追い抜かれていきました。
高校に入ったら野球は辞めようと決めました。
とはいえ、部活を推奨する高校だったこと、
代わりに何かしたいと思っていたこともあって、
良いところはないかと探していたところ、
友人からハンドボール部に誘われました。
私の地元では、ハンドボールは高校から始める人が多く、
未経験でも差がつかないこと、
野球の投げる・捕るという技術が活かせること
を語られ、ハンドボールのルールも知らないのに
気づいたら入部していました。
続きます。